事業概要(沿革)

長崎県営バスの創立から平成までの沿革です。

長崎県交通局の沿革

雲仙国立公園の誕生と県営バスの設立

設立時:開業当日の職員及びバスの写真

 長崎県交通局は、昭和9年3月16日に我が国最初の国立公園である雲仙国立公園が誕生した際に、雲仙の観光開発に伴う旅客輸送手段として設立されました。
 当時、長崎県では「長崎国際産業博覧会」を長崎市と雲仙の2会場で開催すべく準備をしていましたが、会場間の大量輸送を行うには既存事業者では困難と判断し、民営5社の営業権を県が譲受して、昭和9年3月24日に長崎県営バスが誕生しました。
 その後、県営バスは、雲仙への観光客輸送により順調な運営を続け、長崎、諫早、島原半島の民営路線を取得し、県南部における経営基盤を確立しましたが、戦争中は、運転士の召集、ガソリンの配給制限などにより事業が圧迫される厳しい状況にありました。

戦後復興から県営バス最盛期へ

最盛期:新車購入の写真

 戦後、混乱が続く中でバスへの需要は高まり、県営バスではトレーラーバス(96人乗り)等を購入して急場をしのぐとともに、復活した雲仙観光客の輸送に力を入れ、徐々に経営を回復しました。
 昭和30年代に入ると、平和記念像の完成、西海橋の完成、雲仙・仁田峠循環道路の開通などに伴い、路線も仁田峠循環線、西海橋線、大村空港線など新規路線が開拓され、昭和34〜35年度当時、県営バスは最盛期を迎えました。

乗客の減少と財政再建

準用財政再建時:昭和57年長崎大水害の写真

 昭和40年代に入ると、モータリゼーションの急激な進展により、乗客のバス離れ、マイカーの増大、都市部における交通渋滞など、バス事業を取り巻く環境は厳しさを増してきました。
 県営バスも昭和37年に初めて欠損金を生じ、昭和41年から5年間及び昭和53年から7年間の自主再建に取り組みましたが、輸送人員の減少に歯止めがかからず、ついに昭和56年4月1日に地方公営企業法第49条に基づく準用財政再建の指定を受け、経営の建て直しを行いました。
 準用財政再建は昭和62年度までの7年間に及び、429人に及ぶ人員整理、4度にわたる職員の昇給延伸及び総額2億円にのぼる資産処分など、労使一体となって再建計画を達成しました。

経営の健全化そして21世紀へ

現代:車椅子対応ノンステップバスの写真

 平成に入ってからは、準用財政再建の貴重な経験を生かして引き続き自主的な経営健全化に努めるとともに、収支の向上と県民のニーズに応えるため、高速バスの運行や貸切の積極的受注、さらには附帯事業として駐車場事業を開始するなど、生活路線の維持存続のために、また、観光県長崎の牽引となるべく、職員一丸となって積極的な施策の推進に取り組んでいます。
 また、他事業者に先駆けて、車椅子対応のスロープ付き超低床バスや環境にやさしいハイブリッド式低公害バスを導入するなど、県の福祉・環境施策と一体となった取り組みにおいても、先導的な役割を果たしています。